「うまくことが運ぶよう舵取りすること。」について考えてみた

※ このエントリーはファシリテーター Advent Calendar 2018[ https://adventar.org/calendars/3052 ] の3日目のものです。

今日は私自身が日ごろ考えている事・している事について「ファシリテーション」という視点で、あらためて考えてみようと思います。

と書き出してみたものの…ファシリテーションというものがそもそも何かよくわかってないような気もするので、私の友人も多く参加しておられる日本ファシリテーション協会さんのwebサイトで調べてみました。

ファシリテーション(facilitation)とは、人々の活動が容易にできるよう支援し、うまくことが運ぶよう舵取りすること。集団による問題解決、アイデア創造、教育、学習等、あらゆる知識創造活動を支援し促進していく働きを意味します。その役割を担う人がファシリテーター(facilitator)であり、会議で言えば進行役にあたります。

https://www.faj.or.jp/facilitation/

なるほど「うまくことが運ぶよう舵取りすること」というのが、肝みたいですね。何について考えようかなぁ…とぼぉ~っとしていると、2つ考えてみたい事が出てきました。

  1. 「うまくことが運ぶ」とは、自分にとって何だろうか?
  2. 「舵取りする」とは、自分にとって何だろうか?

1.「うまくことが運ぶ」とは何だろうか?

まず「うまくことが運ぶ」が起こってほしい場面について考えてみます。
少なくとも二人以上の複数の人がいる場面だということですよね。ミーティングや会議とかはもちろん、私にとってはワークショップや面談、TOCfE BootCamp(勉強会のコミュニティ)のスタッフをしている時とかが浮かんできました。

ただ、よくよく自分の日常について考えると、自分が運営側にいる時みたいなことだけではなくて、「誰かと一緒にいる時」は、一緒にいる人たちがお客さんでも嫁さんでも友達でも関係なく、すべて「「うまくことが運ぶ」が起こってほしい場面」と自分は捉えているなぁと思っていることが「今」わかってきました。

そういった場面で私自身にとっての「うまくことが運ぶ」というものについてあらためて考えてみたのですが、私にとっては下記のようなものになりそうです。

その場にいる人たちが、それぞれに
「自分の」目的に沿った行動をとっている状態

以下、蛇足ですが…
こんなことを書くと、「会議の時に「会議の目的」ではなく、それぞれの個人の目的なんかに沿って…なんてやっていたら収集つかなくなるよ!そもそも会議の目的としている結論なんて得られるわけがない!」思う方もいるだろうと思います。実際、私自身も「どうなるんだろぉ~。怖いよぉ~。」とかずっと思っていましたしね。
たとえば、個人の目的に沿って行動していいよ!ってなったら、ほとんどの人たちが会議室から出て行って自分の仕事に戻ってしまった!とかになったら辛そうです。

ただ、私の経験上だけの話ではありますが、実際にはそんなことは起こっていません。たとえば会議やミーティングの場では、自分の目的として「誰かと何かについて話したい人」がいて、その人は相手に対して「帰らないで話してほしい」というお願いをすることになるからです。

会議に出るのがルールだからルールを守れ!ではなく、あなたが必要だからいてほしいというお願いをしても帰っちゃう人はいまのところいません。私は相当運がいいだけなのかもしれませんが、ひょっとしたら「お願いされた人の役に立つ」という目的が、お願いされると発生するからなのかなぁ~とか思ったりしています。

2.「舵取りする」とは、何だろうか?

次に考えるのは「舵取りする」です。
言葉としては「促す」とかに近いイメージですが、いざ書いてみると自分の感覚とは違う感じがしました。どうも私は「舵取り」するのが(相手から見た)第三者である私であることに違和感があるようです。

と、ここまで書くと「舵取りする」に相当する部分で、私が日ごろしていることは「教えてもらう」ということかもしれないなと思えてきました。その人の目的とか、今どんな感じなのか?とか興味のあることを、質問して教えてもらっているだけのような気がします。なんてこった!

と、いうことで文章として繋げると私がやってることは、下記のような感じになりました。

その場にいる人たちが、それぞれに
「自分の」目的に沿った行動を今とれているのか?
について教えてもらう

自分のやっている事を言葉で表現する事がなかったので、なんとなくスッキリしています。

私は、「自分の舵を、自分でとっていない人」がわりとたくさんおられるのではないか?と思っています。必要なのは、他の誰かが舵をとってあげる事ではなく「自分の舵を自分でとる」そんな状態にもどしてあげる事ではないかと思うのです。